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この長い足袋蔵をぜひ見に来てください。 
見なければわからません。
行田随一の倉庫群です。

街の通りにありますよ。
十万石饅頭「ふくさや」の近くです。

説明板をご覧ください。
でも、すごいですね。
保泉家の財力たるや。
推して知るべし。

この財力が明治・大正・昭和の85年間を支えたのです。
でも、足袋から靴下の洋風化の波に飲み込まれたのです。

栗代の足袋蔵 
偉い旦那さんですね。
日露戦争で日本は勝利したが、帝政ロシアのニコライ帝はまだ首都サントペテロスブルグには日本帝国陸軍に1ッ歩も足を踏み入れさせていない。
とサハリンの南半分の割譲と満鉄の権利を移行させただけで他の交渉には応じなかった。

戦費調達のために、日本はロンドンで、伊藤博文がアメリカの
リーマンブラザースから借款を受け、かろうじて勝利をつかむことができたのです。

その借款の返済等で財政は破たん寸前でした。
女・子供は売買の対象になり、子供は丁稚、女は女郎になったのです。

もちろん、職人も、不況の波をこうむり、出入りの旦那衆に懇願して、
不況対策として、この栗代の足袋蔵は不況対策として造られたのです。

すごいことなのです。
蔵造りは、現在の価格では1億円から3億円くらいかかるのです。

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