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蛇の出現、縁起が良いですね。 
昨年、国済寺に行った時のことです。
深谷上杉氏の菩提寺、17号国道の沿線の国済寺がもともとの上杉氏の
菩提寺です。
昨年、国済寺に行った時のことです。
帰ろうと思ったら、今年の干支の蛇が現れました。
縞蛇でした。
最近は、蛇も住みにくくなったせいか、近年あまり見かけなくなりました。

熊谷の江南町の千代在住の上杉さんも、400年以上にわたって
現在に地に住んでおります。

戦国の世、北条氏の配下の深谷上杉氏は
小田原攻めの秀吉軍の前になすすべもなく、
城を明け渡し、一族郎党を引き連れて、荒ぶる側と言われた、
荒川の高台に居を構えたのです。

荒川は、秩父の小さな小川の滝を源流として、
桜、河下りで有名な長瀞、秩父の夜祭で有名な、徳川幕府の天領「秩父」
もともとは、秩父で金が取れたのです。「黒川金山」があって、1000人ぐらいが働いていたそうです。
鴻巣、太田道灌で有名な岩槻城、そして、江戸へ注いでいたんです。

深谷上杉氏の末裔の上杉正さんが熊谷市江南町に住んでるよ 
深谷上杉氏の始祖は藤原鎌足まで遡るのです。
家内の光子のおじちゃんは上杉氏の憲勝さんの弟で、
憲勝さんが太平洋戦争で戦死したため、上杉家を継いでいます。
ひょんなことから親交が再開し、妻光子と塚本のおばさんを引き合わせました。
上杉正さんは大喜びでした。
江南町の荒川の河川敷みたいなところを太平洋ゴルフクラブに
貸しております。

また、深谷市内にある上杉家の菩提寺・万昌寺にある上杉家のお墓も
現在も管理しています。

なぜ、深谷上杉氏が城を明け渡したか、秀吉の小田原・北条氏攻めのとき
あの映画化された、のぼうの城の時です。

前田利家に滅ぼされたのです。
それで、仕方なく家来を連れて、江南の地で豪農になって、
田畑を開墾して、家来の小久保氏などとがんばったのです。

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