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私の母校、不動岡高校の新聞に私の『屋根を見つめて140年』3回にわたって掲載されました。 
私がかって通学した不動岡高校は埼玉県北部にあって旧制中学の一角を担い
県北では進学校として,東大、筑波大、外語大、芸大のどの卒業生を数多く輩出し、埼玉県知事の土屋知事以前の知事はほとんどが私が卒業した不動岡高校、旧制中学の先輩でした。
不動岡高校の卒業生は、埼玉県庁職員、教職員関係に就職される方が、圧倒的に多く、私みたいな職人家業に就くものは、めったにおりません出した。

まして、私の高校卒業当時は、高校に行くものが小中学校の友人で1/3程度が進学したものでした。

私たちは、「金の卵」とはやし立てられた集団就職の時代でした。
『ああ上野駅』や啄木が呼んだ「故郷の 訛りなつかし そを聞きに停車場に行く』そんな時代を、青春時代として過ごしたものでした。
その母校の新聞にです。私の『屋根を見つめて140年』が3回にわたり掲載されたのです。

きっと、歴史好きな方が編集したのでしょう。
瓦の伝来、聖武天皇の仏教の布教と瓦の因果関係、そして、瓦の一時消滅、その後の、戦国時代における瓦の不燃性に着目した、戦国大名の物語などを書いたからでしょう。

もし、ご興味のある方は、メール・電話を下さい。
3号はお譲るする事が可能です。

平成の瓦版 
これが太陽光発電の実態だ!
郷郷社『雷電神社』にて、奉納70周年記念式典開催される!
私の父『熊太郎』が建立した、大きな石の鳥居が昭和10年から数えて70年になります。
騎西町・上崎の雷電神社の秋季太例祭の招待を受けて、改めて父『熊太郎』の偉大さを考えさせられました。

父、熊太郎は鷲宮神社に同じ年に1500円、現在の価値で1500万円相当の寄進をし、記念碑の建立を見ました。

また、教育委員長をしていた時代、鷲宮中学の校舎建設に有ったって、1600円の建設費の内800円を提供したと母から聞かされています。

父熊太郎は、関東大震災で、千歳一隅のチャンスに恵まれ、財をなしたと言われています。

私の父の子供です。「第一次石油ショック』の時、瓦の在庫があった為、スケールは小さいですが同じようなチャンスの遭遇しました。
親の血筋は争えないものですね。

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