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土師部流催馬楽神楽の無形文化財・鷲宮神社の神事・流しびな 
中川(旧古利根川)の低湿地帯に黒潮に乗って、16人の
出雲族が大和朝廷に敗れて、新天地を求め、
浮島のような台地に明神様を立てたのが、鷲宮神社の起源です。

想像するに、素戔嗚命の系列の不満分子だったと思います。
新興勢力、渡来人の大和朝廷は、国分隼人族・卑弥呼が眠ると言われる
宇佐神宮周辺のの豪族、日本海沿岸の島根・鳥取・福井・石川
新潟県にまたがる一大勢力の出雲族、一度は八岐大蛇の記紀の
中の話のように素戔嗚尊が大蛇を退治したが、国譲りの話のように
出雲族が統治する国を大和朝廷に奪われたのです。

不満分子の懐柔に、出雲を神の国(神話の国)に仕立て、神無月に出雲大社に
津々浦々の神々が集まることで懐柔していったのです。

そんな伝承の鷲宮神社の夏の神事も、家康の関東入府とあいまって、
営々と続く神事なのです。(7/31は家康入府の特別な日なのです)

8/1は徳川政権にとって、全国から諸大名が伺候する夏の正月に匹敵する
大事な日なのです。

禊は夏の標なのです。
そこで、土師部の民は出雲の国でで、土器つくりに携わっていた部の民だったのです。

その部の民が百済から瓦つくりに技術を学び、鷲宮の産業として栄えた、
瓦製造につながるのです。

そして、鷲宮民俗資料館(図書館2F)に騎西町より、移り住んだ
父、扇谷熊太郎が鷲宮の人として、大正の初めに鉄道に目を付、鷲宮町で瓦製造に携わり、鷲宮町の産業に貢献したのです。

式次第による神官の祝詞によって人型流しびなの五穀豊穣・家内安全・繁栄が祈願されます。 
水上の上流を源流として関東平野をうるおし、多くの民の稲作、森林ダムを
形成しながら中川の清流は、東京湾に注ぎます。

多くの動物、魚たちの命を育み、また、森林ダムによって、
また、灌漑によって多くの市町村の住民に恩恵を与えているのです。

その包容力は、中川の持つ、川の構造が考えられているのです。

そして、山及び各支流から流れいる土砂の堆積層によって、
この加須、鷲宮、幸手、杉戸、春日部,庄和、岩槻、越谷、八潮まで
中川の流域に多くの良質な粘土を運び、瓦産業が栄えたのです。

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