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深谷上杉氏の当主の墓にお花を手向ける塚本の姉 
深谷上杉氏の正当な当主上杉正さんがことの鬼籍に入られたので、
お墓詣りに光子と塚本の姉と行ってきました。
この昌福寺の伽藍は、裏山を借景とした庭を誇り、山門には仁王像がありました。
私の妻は、深谷上杉氏のの末裔で藤原鎌足に子孫です。
後に良門家を興し、藤原の冬嗣や藤原の道長・頼通と血がつながっているのです。
本当ですよ。インターネットで検索してみてください。

深谷上杉氏の累代のお墓です。何代目かわかりませんがご両人は直系の姫であったはずであったのですが。 
深谷上杉氏は慶長年間小田原城を本拠とする後北条の出城だったため、豊臣秀吉の命を受けた前田利家を総大将とする軍勢に負け、開城し、江南町に下野して、荒川の流域に豪農といて隠居し、のちに徳川の支配下に置かれたのです。

今は17号線沿いにこのお寺「国済寺」はあり、内陣には天井画もある由緒正しき伽藍になって4脚の鐘楼、黒門と呼ばれる山門を有した大寺院です。

自分たちのご先祖さんが今も「国済寺」に葬られ、深谷市の史跡になっております。
国済寺は2.4mもする鬼瓦を棟に掲げ、威風堂々の和瓦の大伽藍です。

一度見学に行っていただけたらとありがたいです。
「国済寺」という信号もあります。東京方面からくると国済寺の信号を右折です。
間違わないでください。史跡のお墓は本堂の裏手です。本堂の脇に瓦の葺き替え時におろした鬼瓦もあります。
ぜひ、ご覧になってください。宝物殿もあります。

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